平凡を受け入れることは幸せを受け入れること

最近眠くて仕方ないですねー。でも朝晩のストレッチをすると起きた時のスッキリ度が違うのです。体が軽〜くてガバッとアニメみたいに起きられます笑。

 さて皆さん平凡を受け入れてますか?愛していますか?これを見ている皆さんは平凡が楽しいと感じている自分に自信が持てないのではないですか?私もその1人でした。でも私は様々な思考を経て、平凡が愛おしい存在であることに気がつきました。それによってより幸せと感じる瞬間が増えました。

 今日はなぜ、私が平凡を愛するのか紹介していこうと思います。皆さんも平凡な自分を愛せますように。

人は環境がかなりの割合を占めてるから

 人は環境に影響されることが多いですねー。これは皆さんも実感あると思います。意地悪な人だなと感じても、それはその人なりの正義や優しさだったりするし、逆も然りです。また勉強・学歴も顕著ですよね。私は大学受験を経て、ここから先は越えられない、環境の壁を実感しました。予備校の知り合いは医学部志望で看護学部志望の私と比べて信じられないほどの勉強量と勉強に対する価値観の差を実感しました。きっと彼女は小さい頃から勉強漬けで勉強することに何の違和感も持たない人なのだろうと推測します。だからこそ、高い目標に向かって体を壊さず走り続けることができるのだと思います。私はあのレベルの勉強量は体を壊してしまうので、看護師の道を志します。

エリートじゃないと生きられないわけではないから

 エリートって響きいいですよね。とても自尊心を満たしてくれます。実際に、この資本主義社会では、とてもエリートは重宝されます。それこそ先ほどの医学部の彼女のように医師不足は深刻ですから、彼女はとても重宝されるでしょうね。しかし本当にエリートでないといけないのでしょうか?環境の差というものは越えられません。なのに全員エリートにならないといけないのでしょうか?他人がミスをしたら『大丈夫だよ』と優しくするのに、自分がミスをしたら『自分はダメな奴だ』と責めます。責めすぎです。これを開いた皆さんは他人に甘く、自分に厳しすぎます。私もそうでした。でもエリートでなくてもいいんですよ。確かにSNSにあるようなキラキラ投稿はできないかもしれない。エリートから見下されることもあるかもしれない。それでも自分の心を攻撃してまでエリートでいなくて良いのです。自分を肯定しませんか?エリートでなくても世界は温かいと知れました。

温かいご飯・お風呂・布団が幸せと感じるから

これはHSP気質な人なら、とても共感してくれるのでは?温かい日常が本当にずーっと続けばいいのになって思います。豪勢な旅行や煌びやかな友人は、羨ましくなりますが、きっと疲れてしまうでしょう。私はある日常が愛おしいです。

他人と比べなくなるから

私は青年期真っ盛りです。自意識過剰になって嫉妬して苦しくて苦しくて仕方なかったんです。理想の自分になれない自分が嫌で嫌で惨めでした。でもなぜでしょう。平凡を受け入れるようになったら、自分は自分のままでいいんだと肯定できたら自然と他人と比べなくなりました。本当に本当に過ごしやすくなりました。私は看護学生なので、将来的には病院で働くことになるでしょう。そこでは色々なステータスを持った同僚や患者さんがいることでしょう。頭脳であれば医者。お金持ちの患者さんもいることでしょう。愛が溢れたご家族もいるでしょう。そんな時でも自分は自分のままでいいんだ。平凡な看護師でいいんだと受け入れることは苦しみから解放されることを意味します。私は学生時代に平凡を受け入れることができて良かったです。

周りの人に感謝できるから

 最後に周りの人に感謝ができます。今までは自分を満たす、いわば利己的なメリットでしたが、これは他者に向けたメリットです。何事も自分を満たさないと他人を満たすことはできませんが、他人に満たすことができたとき、自分を満たす以上の幸せが手に入ると私は考えます。もちろん他人のためという自己犠牲に近い感情は評価軸が他人に依存してしまうので、精神的にはよろしくないです。しかし自分が満足するから優しくする、感謝を伝えることは精神的によく持続可能な考え方です。話が逸れましたが、人に優しくするのは自分の心が満たされます。私は人に優しくして満足したいから看護の道を選びました。

まとめ!

 みなさん、平凡な自分を少しは好きになりましたか?荒波に立つみなさんにとってこの記事が少しでも楽な考え方にシフトできたら嬉しいです。みなさんも平凡を受け入れて幸せを受け入れてくださいね。陰ながら応援してます。